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現代を生きる人々の、心を蝕むメッセージ…


「自分の生きたいように生きなさい」
「日本は恵まれているのだから、一生懸命取り組みなさい」
「あなたは特別よ。」
「…でもこれぐらいは我慢しなさいね」

「困ったとき?いつでも頼りなさいな」
「どんな生き方をしてもいいの。」
「今は色んな道を選ぶことができるし、自分で行きたい所へ行く自由がある」
「でも人に迷惑をかけるのは絶対にダメよ」
「え?毎日が苦しい?うーん、それは自己責任でしょ…」

「この社会ではみんな平等であるべき。人は誰でもそういう権利があるの」
「…ただ、競争相手は叩きのめしなさい!」


様々なメッセージが溢れ、多様な価値観に触れざるを得ない今を生きる子どもたち。
その心がすり減っていることは未成年の自殺率の高さ・引きこもりや精神疾患の増加によって表れていると言えるでしょう。


多くの親・家族は、子どもたちの身体的な健康には注意を払う一方で、心の健康について学ぶ機会はほとんどありません。

それもそのはず。
健康を支える医療現場において、医師や看護師たちは日夜業務に追われており、子どもたちの心の問題にまで十分な時間とリソースを割くことは難しいのです。

専門知識を持つ医療従事者がカバーできていないことを、どうして家庭の医学で補うことができるでしょうか。


うつ病、不安障害、拒食症、引きこもり…。


今、子どもたちは声にならない心の声を様々な症状を通して私たちに訴えているのです。

たった2,500人の医者


はじめまして。島袋梢です。
現在、アメリカのカリフォルニア州で小児集中治療医として病院勤務をしています。


小児集中治療医とは、医療現場における相談役。

アメリカ全土で約2,500人しかおらず、医療チームのリーダーとして、看護師、薬剤師、理学療法士、栄養士、心理士など、さまざまな専門家と協力し、総合的なケアを提供する立場です。

また、私は他の医者たちを指導する立場にもありますが、小児集中治療医としては重篤な疾患や怪我を負った子どもたちを専門的に治療しており、高度な医療を提供することを私は得意としています。


そんな小児集中治療医の使命は、子どもたちとその家族に最高の医療を提供し、『希望』と『安心』を届けること。

これまで私は、一分一秒を争う急変対応や難しい症例の数々、過酷な現場を幾度となく経験してきました。
連日当直の担当になったり、想定外の事態に対応して睡眠不足になったりすることも珍しくありません。

このように体力的にも、そして専門的な知識や技術の面から考えても誰にでもできる仕事ではない小児集中治療医。

その分、私はこの働きを通して何モノにも代えがたい充実感を得ていますし、
熱い志を持った仲間にも恵まれ、「この職業は最高だ!」と誇りに思っています。


「これからもこのような日々は続くのだろう…」

変わらない日常の繰り返しを誰もが思い描くように、私も自分のいた職場がなにかの拍子に変わってしまうとは少しも想像していませんでした。

ですが、思いもよらない形で。
それもあっさりと、私たちの日常はガラガラと崩れていったのです。

COVID-19の世界的流行


2020年初頭、世界を揺るがすコロナウイルスのパンデミックが発生。

この未曾有の危機により、私たちの医療現場は大きく変わりました。感染症の拡大により、日常の診療や手術は中断され、病院の多くのリソースがコロナの対応に追われることも…。

そして、医療従事者としての責務は一層重たいものとなり、連日続く過酷な働き方、感染予防に対するストレスと緊張にすり減らされる日々になりました。

私は当時アメリカの病院にいましたが、仲間たちの声を聞く限り、日本でもきっと同じような事態に陥っていたのでしょう。

スタッフの心は日に日に削られ、疲弊していき、多くの仲間が過労やストレスで退職を余儀なくされました。


「医者なのに、仲間たちの心をこんなにも守れないものなのか…」


私たちが直面したこの困難は、心のケアがいかに重要であるかを痛感させるものであったとともに、
『心をケアする術を医者は持ち合わせていない』という現実を残酷なまでに突き付けてきました。

そして、見た目には強く見えるような大人でも、
その心の内では大きな重圧に苦しんでいることがあるという当たり前の真実にも気づかせてくれたのです。


また、医療スタッフの状態が入院している子どもたちにまで影響を与えていることを目の当たりにもすることで、

・子どもたちを支えるために、医療現場は揺るがないものでなければならない。
・心の摩耗を軽視してはいけない。

月並みな表現かもしれませんが、そう強く思いました。


そこで私は身近な人たちの心を支えることができるように、
カウンセリングの技術や心理面についての学びをスタートすることにしました。

もちろんすぐに何かが変わったわけではありません。
ただでさえ大変な現場だったからです。


ですが、
ほんの少し話し方を変えるだけで、
ほんの少しその人が吐き出したい言葉を聞いてあげるだけで、
あるいは、その人が必要とする言葉を投げかけるだけで、人の心は驚くほど変わっていくことを経験しました。


どうにもできない苦しみを経験した時、
それを誰にも打ち明けられず、理解してもらえない耐え難さと言ったらありません。

ただ、ほんの少しだけでも心の内を誰かと共有できるだけで、不思議と明日に向かう足取りは軽くなるのです。


私たちのいる医療現場は、辛いことが繰り返されることも多くあるでしょう。
そのような中で私たちが子どもたちに『希望』と『安心』を届けるという使命を全うするためには、まず私たち自身の心が健全である必要があるのです。

医療従事者の心の健康を守ることで現場の情熱は支えられ、
提供する医療の質が高められることは想像に難くないでしょう。

一番見過ごされるのは…

私も身を置く医療現場。
そこでは時として、孤独な戦いがあることを私は理解しています。

ただ、それでも大人は自分の心を守るために様々な手段をとることができるものです。

『仲間に愚痴る』『身体を動かす』『自然と触れ合う』『趣味に浸る』…。

医療従事者の心をケアする体制が十分だとは思いませんが、大人は自らを支え、心を整えることができる存在です。


では、子どもたちはどうでしょうか?
医療従事者が自身の心のケアを求めているとき、入院中の子どもたちの心は誰によって守られるのでしょう。


冒頭にも書いたように、子どもたちが自ら声を挙げることはほとんどありません。

私たち医療従事者がボロボロになっていた時、誰かの助けを必要としていた時、
同じように心の支えを必要としていたのは実は子どもたちなのです。

心の内をはっきりと言語化できない分、
子どもたちこそが心に一番の重荷を負い、その心のケアは見過ごされてしまっていたと言っていいでしょう。

特に終末期や重篤な疾患を持った子どもたちが感じる身体的な苦しみを専門的に理解し、寄り添える人は非常に限られています。そこに差し伸べられている手はまだまだ足りてはいない。

かと言って、心のケアの領域まで医療現場が担うことは非現実的であることを私は知っています。


だからこそ、私たちはカウンセリングの知識と技術を持って、一番しんどい思いをしている子どもたちの『心』を支えていきたいのです。

心のケアは命のケア


医療現場では、疾患をベースに子どもたちの命を支えています。
それは別の働きによって代替できるものではなく、過酷で尊い働きです。

それと並行して、心をケアすることの重要性を私は感じています。


重い疾患にかかって苦しむ子どもたちとその家族、過酷な医療現場で働く医療従事者、そして一般的な家庭であっても心の支えを必要とする人は必ずいます。


人は心の倉にあるものを取り出して生きる存在。
心の内にあることを言葉として表現し、心の内にあることをもとに行動しています。


私はこれまで、疾患をケアすることが命を扱うことだと思っていました。しかし、心の健康を守ることこそがその人を癒やすことであり、その命を大切にすることだと今は確信しています。
心が健全であることがどんなに大切であるかは、これを読むあなた自身もきっと理解しているでしょう。


しかし、一人ひとりと向き合う分、
私たちが直接関わりを持つことができるその対象はどうしても限られてしまいます。

であるならば、
私たちだからこそ手を差し伸べることができる人に向けて、心のケアを提供していきたいのです。

  1. 闘病中の子どもたち
  2. 闘病中の子どもの家族や親族
  3. 医療を届けている医療従事者


もちろん、私たちの助けが必要な方ならこれらの範囲に限定することはありません。

心のケアは命のケア。
心の重荷を少しでも軽くし、自分の命が大切だと思えるような支援をすることが、私たちの使命です。


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